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やはり失速

 
「今年は調子が良いかも」なんて言っていましたが、それでも、疲れが出てきたのか、じわじわと物事に取り組む意欲が落ちてきました。今は「好調」には程遠い状態です。

稔の思い切った行動によって、私達は新しい【居場所】を見つけることができました。そして、そこで過ごす時間は、今の私達にとって非常に重要なものとなっています。日々 新しい事を学び、素早く的確に動き続けるための健康管理(主に食事と運動)にも気を遣うようになったので、忌まわしい過去を振り返って泣く暇は、ほとんど在りません。とても良い傾向であると、自負しています。
彼の判断は「正しい」と、手放しで言えます。

しかしながら、新しい仕事に関する小さな悩み事に、頭を抱えることも しばしばです。些細なきっかけで、ひどく悲観的になり、身体が萎縮してしまいます。

新年度さえ始まってしまえば、少しは気が晴れると思いますが…。
しばらくは、ブログの更新が止まってしまいそうです。




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「場の空気」なんぞ知るか

 
「この場を盛り上げよう」という意図があるだけで、選ぶ言葉は下品で乱暴なものとなりがちで、いとも簡単に少数派の人々の心を傷つける。

「この場に、該当者が居るわけがない」という勝手な思い込みのもとに、特定の地域の出身者や、セクシャルマイノリティー、精神疾患の人などが【笑いもの】になっていく。下手をすれば、その場に当事者が同席しているにも関わらず、女性や障害者が蔑視され、尊厳を無視した「ネタ」が飛び交う。

一般人なら「テレビ的に面白い話をしよう」なんて、思うな。そこが「カメラの前」ではない限り。

日常の中の、同僚との食事や、学校の授業に「バラエティー番組的な空気」が、必要か??……要らないだろう。
番組の出演者なら「嘲笑を受け流すこと」に対する報酬(出演料)が受け取れるが、一般人に そんなものはないのだ。

明確な「ターゲット」が指定されていて、聴いた人(あるいは ターゲットとされた張本人)が傷ついたり、不快に思ったりする内容の「笑い話」なら、それは「いじめ」か「人権侵害」にしかなりえない。


「人畜無害な つまらない話」で周囲を笑顔にしてこその【話術】ではないのか??






 

今年は調子が良いかも

 
ここ10年くらい、毎年2〜3月頃は心身の絶不調が続く(自己肯定感が消え失せ、希死念慮が半端ない)のですが、今年は、比較的体調が安定しています。

とはいえ、相変わらず「不気味な夢」を見る頻度が高く、日中でさえも おぞましい幻視を見たり、幻聴に苛まれる日もあります。

ただ、「仕事を辞めたい!!」と泣く日はあっても、「死にたい…」と思い詰めるまでには至りません。

副業に対する【展望】や【目標】があり、健やかな気分を保っていられます。日中の本業で、どれだけ嫌な思いをしても「後には、楽しい時間が待っている」と思えるので、とても気が楽です。「いざとなれば、副業を本業にしてしまえばいい」という安心感があります。



 

「多重人格」の漫画

 
解離性同一性障害に興味がある方々に
「comico」という漫画アプリで、かつて連載されていた「マヤのマンション」という漫画を、お薦めしたいです。(この作品は、現在comico内で全話無料で読めます。)

架空の国を舞台にした物語ですが、多重人格(解離性同一性障害)に関する描写が、とてもリアルで、当事者としても違和感なく読めます。全編フルカラーで、人格ごとに姿やセリフが色分けされ、彼女達の「交代」や「会話」が、とても解りやすく表現されています。

あくまでも「ファンタジー」であり、ちょっと出来過ぎているくらいのハッピーエンドなのですが、当事者の方なら、少なからず共感できる場面があるかと思われます。




 

「使えない」という日本語

 
私は、人材に対して「使えない」という日本語を用いる輩が心底嫌いである。
人は、道具ではない。命を持ち、心がある。
そして、人は本来、誰かに「使われるために」生まれ、生きているのではない。

生物は「生きるために」生まれてくるのである。

人は「社会」や「企業」の構成員である前に、地球上に生きる生物である。

人は、機械や奴隷、あるいは家畜のように「使われる」ために生きているのではない。
(もちろん、家畜にも、健やかに生きる権利がある。「家畜だから」といって、死ぬほど虐げていいわけではない。)

人には【尊厳】がある。

病気や障害のために 車の運転ができないとか、満足に電話応対ができないとか、筋力が弱いとか、色が判らないとか、耳が遠いとか、人の顔が識別できないとか、文字が読めないとか、たった それだけのことで【生命】まで脅かされる謂れは無いのだ。

人が生きるためには、収入が要る。
人は、収入のために、働くのだ。
働くために 生きているのではない。

労働者としての能力だけが、その人の存在価値を決めるのではない。

人に対して「使えない」という言葉を用いること自体が、生存権の侵害である。






プロフィール

Author:諒

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