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整理したい

 
ブログ内の記事を
「整理したいなぁ。」「書き直したいなぁ。」
と、思いながら、読み返しているばかりの日々です…。(誠に勝手ながら「近況」カテゴリー内の記事は、すべて非公開とさせていただきました。修正・抜粋後に再掲するかどうかは、未定です。)

当ブログ開設から月日が経ち、自身が置かれた状況が変わり続ける中、解離症や他の精神疾患について、自分なりに学び続けてきました。それを通じて、考え方が変わったり、あるいは「やっぱり、そうだ!!」と、改めて強く思うこともあったりして、書きたいこと・書き直したい記事は次々と思い浮かんでくるのですが、とにかく今は、時間が捻出できません…!!

今はまだ、我が人生における、大きな【区切り】を目前とした、重要な局面にいます。状況が落ち着くまで、しばらくお待ちいただけましたら、幸いです。




 

日本は解離の国?

 
日本では、成人ともなれば【本音】と【建前】を使い分けることが【礼儀】とされ、一貫して事実と本音だけを話しているような人は、往々にして「失礼」「身勝手だ」「子どもみたい」と非難されます。
(私は、この価値観に馴染めません。いくつになっても。)

また、学校の部活動では【上下関係】を厳しく教え、就職後でも「上司の指示は絶対!」「先輩を立てろ!」という威圧的な風潮の中で働かなければならず、「目上の人には腰が低いけれど、目下の者には理不尽」という、裏表のある人二重人格的な人は、いくらでもいます。

大抵のサラリーマンは、収入のため、会社の利益のため、家族の生活や健康のため……あらゆる【本音】をしまい込み、大きな組織(企業や自治体)の運営を円滑に進め、住む町の平和を乱さないための【建前】ばかりを口にし続けなければなりません。
上司が怒り出せば不本意でも頭を下げて、会いたくもない取引先と笑顔で話し、部下や備品・私物に八つ当たりしそうになる気持ちをぐっと堪え、時には自身の至らなさに落ち込み……家では、配偶者や子どもに関することで悩み、煩わしい人づきあいに悩み、誰かに相談しようにも、役所や病院に行ったり、気のおけない友人と逢ったりする時間(休暇)は、なかなか作れません。
むしろ「他人に頼ること」自体を、周囲から咎められる危険性が高いのです。

日本では【我慢】や【忍耐】が美徳であると同時に、周囲からの監視の目が、常に至近距離で光っています。特に、現代では、いつ、誰に、自分達の言動をインターネット上で晒されるか、分からないのです。
「これ以上の厄介ごと・悩みの種は、御免だ…!!」
そんな想いから、独りで何もかも抱え込んでしまう人は、きっとたくさんいるでしょう。

【本音】を押し殺しながら生きている自分を哀れんだり、恥ずかしく思ったりすることも、あるかもしれません。
糞みたいな【建前】が与えてくれる「恩恵」にだけ着目して拡大し、何かしらの屁理屈をこねて、こじつけてでも、相反する二つ以上の考えを「どっちも【本心】だよ!」という結論に導かないと、生きていられなくなりそうです。未来に絶望してしまいそうになります。
(相反する物事を、どちらも「正しい」とか「自分も望んでいる」かのように受け入れるためには、複数の人格を持ち合わせなければ、不可能かと思われます。)

日本で働いていると、よほど幸運な人でない限り、日々の暮らしそのものが、窮屈で、息苦しくて、まるで【生殺し】に遭っているかのようです。

そんな国で何十年も生きていたら、心身が歪んでしまったり、壊れてしまったりするのは「必然」と言えるでしょう。「心が割れてしまう病気」とも言える解離性障害は、あまり知られていないだけで、実は【国民病】かもしれません。




 

「場の空気」なんぞ知るか

 
「この場を盛り上げよう」という意図があるだけで、選ぶ言葉は下品で乱暴なものとなりがちで、いとも簡単に少数派の人々の心を傷つける。

「この場に、該当者が居るわけがない」という勝手な思い込みのもとに、特定の地域の出身者や、セクシャルマイノリティー、精神疾患の人などが【笑いもの】になっていく。下手をすれば、その場に当事者が同席しているにも関わらず、女性や障害者が蔑視され、尊厳を無視した「ネタ」が飛び交う。

一般人なら「テレビ的に面白い話をしよう」なんて、思うな。そこが「カメラの前」ではない限り。

日常の中の、同僚との食事や、学校の授業に「バラエティー番組的な空気」が、必要か??……要らないだろう。
番組の出演者なら「嘲笑を受け流すこと」に対する報酬(出演料)が受け取れるが、一般人に そんなものはないのだ。

明確な「ターゲット」が指定されていて、聴いた人(あるいは ターゲットとされた張本人)が傷ついたり、不快に思ったりする内容の「笑い話」なら、それは「いじめ」か「人権侵害」にしかなりえない。


「人畜無害な つまらない話」で周囲を笑顔にしてこその【話術】ではないのか??






 

「多重人格」の漫画

 
解離性同一性障害に興味がある方々に
「comico」という漫画アプリで、かつて連載されていた「マヤのマンション」という漫画を、お薦めしたいです。(この作品は、現在comico内で全話無料で読めます。)

架空の国を舞台にした物語ですが、多重人格(解離性同一性障害)に関する描写が、とてもリアルで、当事者としても違和感なく読めます。全編フルカラーで、人格ごとに姿やセリフが色分けされ、彼女達の「交代」や「会話」が、とても解りやすく表現されています。

あくまでも「ファンタジー」であり、ちょっと出来過ぎているくらいのハッピーエンドなのですが、当事者の方なら、少なからず共感できる場面があるかと思われます。




 

「使えない」という日本語

 
私は、人材に対して「使えない」という日本語を用いる輩が心底嫌いである。
人は、道具ではない。命を持ち、心がある。
そして、人は本来、誰かに「使われるために」生まれ、生きているのではない。

生物は「生きるために」生まれてくるのである。

人は「社会」や「企業」の構成員である前に、地球上に生きる生物である。

人は、機械や奴隷、あるいは家畜のように「使われる」ために生きているのではない。
(もちろん、家畜にも、健やかに生きる権利がある。「家畜だから」といって、死ぬほど虐げていいわけではない。)

人には【尊厳】がある。

病気や障害のために 車の運転ができないとか、満足に電話応対ができないとか、筋力が弱いとか、色が判らないとか、耳が遠いとか、人の顔が識別できないとか、文字が読めないとか、たった それだけのことで【生命】まで脅かされる謂れは無いのだ。

人が生きるためには、収入が要る。
人は、収入のために、働くのだ。
働くために 生きているのではない。

労働者としての能力だけが、その人の存在価値を決めるのではない。

人に対して「使えない」という言葉を用いること自体が、生存権の侵害である。






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Author:諒

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